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いつもなら「異状ナシ」で終わる、市のガン検診に於いて、 昨年、我が父の胃には、ガン細胞が見つかった。 幸いにも、“早期に近い発見”であったため、今年になってから手術をした。 今は腹腔鏡下手術という施術法のため、特に心配することなく手術が済んだ。 そして、「無事に終わりましたよ」という、医師の言葉に、家族は安堵した。 術後は胃の3分の2を切除したことにより、一旦は食欲が落ちるものの、 少しずつ胃が元気になり、半年から1年で元の食欲に戻れるとのことだった。 「そういうものなのか」と納得し、また父の食欲回復に期待した。 食べることが大好きな私とは対照的に、父は、昔から食が細い人だったように 思い起こされる・・・。 特に好きな食べ物もなく「これが大好きなんだ」とか「これは美味しいな」と 食に関して、父が言った記憶が、子供の頃の記憶をひっぱり出してもあまり無い。 だから入院してから父に聞いた。 「退院したら、何が食べたいの?」 「特に無いな・・・」 「好きな食べ物はなんだっけ?」 「別に無いな・・・」 「若い頃は、何をよく食べたの?」 「ん~・・・・やっぱり寿司かな・・・」 「じゃあ退院したらお寿司食べようね」 「あんまり食べたくないな」と。 嫌いな食べ物が多い父。 食にあまり興味が無い人なのか?と、今さらながら思った私。 今年の四月の出来事・・・。 父は囲碁が大好きな人。 子供の頃はよく「碁を覚えなさい」と無理に教えられ、 興味を持てないから、それを拒んだ私。 そんな私も、成人してから、家庭用のゲーム機により、囲碁をとりあえずは覚えた。 父と囲碁の対局をしたことが数回あった。 有段者の父に勝てるはずもなく。でも父はとても嬉しそうだった。 もっと早く覚えてあげればよかったかな・・・と、少し後悔した。 私の目は父に似ている。 前にもここに書いたように、「お父さんにそっくりね」と言われると、 嬉しかったし、そう言ってくれる人を、「いい人なんだ」と思ったりもした。 でも、いつも自分のことを優先して、家庭を省みない人だったので・・・ 思春期のころは、よく反発もした。 やがて私も結婚し、どんどん歳を重ねる父に、 「人は歳を重ねると、考え方も体力も弱くなっていく」ということを学んだ。 昔だったら、「そうじゃないだろう!」と頭ごなしに怒った父が、 いつからだろう・・・「おまえの考えも一理あるな」と言うようになった。 手術が成功したので、父は無事に退院した。 「家に帰りたい」と、散々言ってたこともあり、嬉しそうだった。 また大好きな囲碁に出掛け、かわいがってた犬の散歩にも行き、 手術を受けてよかったと、病院を往復して大変だった母も、 そう思っていたことと。 でも、「また元気になるためには、頑張って食べる」という努力をしない父は、 「食べたくない・美味しくない・いらない」というわがままを繰り返した。 まさに、食欲との戦いだった。 子供に、騙し騙し食べさせるように、いろいろ手を尽くす母も 「何も食べない」と手を焼いた。 60キロ近くあった父の体重が落ちていく一方のため・・・ 点滴で栄養を摂取することもあった。 そのうちに、食べると戻すようになった。 胃の次は今度は、胆管に問題が起きたようで、再入院となった。 でも、このときも、無事に退院できた。 退院しても、相変わらずの食の細さで、何を作っても食べてくれないと 母がよくこぼしていた。 果物を好まない父でも、娘の私が言えば食べてくれるか?と 梨を出したとき 「美味しい」と言ったのに・・・たった1つで、「お腹いっぱい」と言った。 そんなに食べたくないのか・・・と、胸が押し潰される思いがした。 父の体重が50キロを切ったと、母が言った。 でも、見た目は元気で、相変わらず囲碁には出かける父。 4月に手術をして成功したのに、食べたくないと繰り返すうちに 痩せていく父・・・。 しばらくして・・・また嘔吐するようになった。 10月5日に、「真っ青な顔をしてお父さんが立てない」と、母がSОSをよこした。 大雨の日だった。 家族の力で病院に運ぼうとしたものの、苦しそうで断念し、救急車を呼んだ。 大雨の中、私の父を抱っこして、救急車に運んでくれた私の夫の姿が 大きな記憶として残った。 今度は、胃の出口が異常に細くなってしまっているため、 食べた物が通れずに嘔吐するとのことだった。 手術が4月。これが10月。半年も経過しているため、珍しい症例の ようだった。 しかし、この入院も、命に関わることでは無いため、 おかゆを食べられるまでに回復し、10月29日に無事退院。 この日のお昼過ぎに「帰りたい帰りたい」と散々言ってた父が 家に戻ってきた。 お昼過ぎに帰宅した父が・・・ 夜には容態が急変した。 やっと帰って来たのに、夜にはまた病院に逆戻り。 この日も大雨だった・・・。 10月29日、再入院。 今度は肺炎だった。 歳をとると、急に肺炎になることがあるらしく。 「そういえば、芸能人とかでも、たまに聞くよね」と話したりした。 今度もまた、命に関わるほどではないらしく、わがままを言いたい放題の 父と、毎日病院へ通う母。 母には文句を言う父も、娘の私だとあまり文句を言わない。 「不公平だよね、私だと文句ばっかり言って」と、呆れる母だった。 私が病院へ行くと、父は嬉しそうだった。 ゴルフが大好きな私。でも父の趣味はゴルフではない。 だけど、私が小学生の頃は、父はゴルフをしていた。 ゴルフは1人では出来ないスポーツ。 あの頃は、今みたいにゴルフ人口がいなかったため、 ゴルフ仲間が少なくて、ゴルフをやめてしまった父。 一度でも自分がやったスポーツなら、ルールも何もかも 分かってくれる。 「今日はね、スコアがいくつだったよ」 「こんなに上手だったんだよ」と私が報告すると、「そうか」と、 笑顔の父だった。 また今回の入院も、点滴治療の後に、おかゆが出るようになり、 退院の目星がついてきた。 「帰りたい帰りたい」と繰り返す父・・・。 「やっと退院できそうじゃん?」と私が言うと、辛そうではあるものの、 嬉しそうだった。 11月15日。早朝。 出された朝ご飯を少しだけ食べて「少し寝る」と、休んだのが8時半頃。 その日は午後から主人と、病院へ行く予定だった。 「今日は午後から病院へ行こうか?」と言ってくれる主人に、 「うん!!仕事大丈夫?ありがとう」と、喜んだ私。 8時半に寝た父の、よかったはずの顔色が、少し青白くなったことに、 付き添っていた母が気づいた。 9時永眠。 朝ご飯を食べて休んだ父は、たった30分で、そのまま逝ってしまった。 9時6分に、母から電話があり「退院のこと?」私がと聞くと・・・ 「死んじゃったから、すぐ来てあげて・・・」と、 全く予想外の言葉が、電話口から聞こえた。 すぐに主人と病院へ向かった。 父の顔が、まだ、温かかった。 父の頬に手をあててみれば・・・まだほんのりと温かくて・・・。 苦しまずに逝った父の安らかな顔は、いつもの寝ている顔と 何も違いはなかった。 今すぐにでも、目を開けてくれそうなほど・・・いつもの父の顔だった。 退院するはずだった父の容態が急変し、蘇生措置を施しても、 35キロまで減ってしまった父の体力では、さほど効果は無かったようだ。 父が大切にしていた、囲碁のビデオと囲碁に関する本は、前回までの入院では 何も言わなかったのに、今回の入院は、直前に「もう観ないから処分していいよ」と 母に言ったらしい・・・。 何か察することがあったのだろうか・・・。 さぞかし無念であったろうと、最初は思った。 あんなに帰りたがっていた家に、冷たくなって帰る父。 でも、思えばこの4月から入退院を繰り返し・・・ 母にこれ以上の迷惑を掛けないようにと、気を遣って静かに逝き、 何よりも父は、楽になりたかったのかと思えてきた。 父が可愛がっていた、愛犬ジョンに「ジジいなくなっちゃったね」と話しかけると、 ジジという言葉に反応し、走って玄関に迎えに出るジョンは・・・ しばらくの間は、この行動を繰り返すのでしょうね。 そしてとても不思議なことに、亡くなる前日に、霊現象や霊魂などというものを 一切信じなかった父が、ふと天井を見て母に、 「あそこに人が6人もいる・・・」と言い、退院を信じていた母は、 「いや~ね。お迎えが来てるみたいで気持ち悪いから、そんなこと言わないで」と、 笑い話として受け取ったようだ。 今日が初七日。 初七日までは、なんとしてもこのブログは・・・ 休むことをせず、普通に書くと決めた私は、 明るい文面を書きながら、涙が溢れたこともあった。 お客様も、友達も、親戚も、ネットでできた友達も読んでくれる、 小さなブログ。 やっと慣れてきたブログを、自分の都合で休むことはしたくなかった。 でも、このことを何も書かずに、通過する強さも無い自分。 今日は、初七日にあわせてここに書くことにより、 また明日からは、普通に書いて参ります。 最後に、父の人生に携わってくださった全てのかたに、 深く深く感謝いたします。
by sasakitosou
| 2005-11-21 15:15
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